『ヒストリー・オブ・バイオレンス』

ヒストリー・オブ・バイオレンス [DVD]
★★☆☆☆
以下、ネタバレ。
一定の名声を得た作り手が「暴力」を題材として映画を撮った場合、これを政治的「見立て」として読み解こうとする立場があります。この『ヒストリー・オブ・バイオレンス』など作り手自身が政治的含意に言及しているわけで、そういった思索ゲームの格好の対象となるのではないでしょうか。

また別の階層では、これを「正義のヒーロー」が「悪のカリスマ」を敢然と(一方的に)撃退し、コミュニティに平和をもたらしましたとさメデタシ目出度しといった勧善懲悪譚、ハリウッド謹製の娯楽活劇に対する批評として見る向きもあるのではないでしょうか。

しかしわたくしはそのような「意味」を見出すことに徒労感を覚えるのです。何故ならこれはブンゲイ映画の身振りはしているけれど、単独の作品としては数多と製作され消費されてきたプログラム・ピクチャー、それこそセガール御大の沈黙シリーズ辺りと大差ない、どころかそれ以下の出来に思えるからです。

例えば大ボスとして登場するウィリアム・ハートの間抜け振りなど、まず三流アクション映画でもお目にかかることの出来ないものです。殺害ミッションが己の杜撰な計画のせいで頓挫しておきながら逆ギレし「なんで失敗するんだ!」と叫んだ時など、あくまで劇中のベタな台詞であるはずが物語の外側の視線、要するに「お前のせいやんけ!」という観客の突っ込みと呼応して歪んだユーモアさえ醸し出しています。

こういった枝葉の部分だけでなく幹であるはずの主人公、ヴィゴ・モーテンセンの扱いにも疑問を感じます。この映画において彼が暴力を振るうことの嫌悪、戸惑い、快楽といった「揺らぎ」はほとんど描かれません。しかし彼は善悪の境界を越えてしまった存在、例えばステーキをムシャムシャと食べる役所広司のような超越者ではありません。苛烈な暴力を行使する一方でマリア・ベロに縋り拒絶され傷つく、あくまで「彼岸と此岸の狭間の人間」として描かれています。であるならば彼の葛藤なり煩悶なりにもっと時間を割いてしかるべきではないでしょうか。

かつて此岸にいたはずの襟川クローネンバーグが斯様な中途半端で生ヌルい映画を作ってしまったことは理解し難いものがあります。こんなんだったらいっそバーホーベンが撮れば良かったんだって!本隊潰すって!と、典型的テレ東チルドレン言説を投げつけてコメントを終わりにしたく思います。