『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』

【チラシ付き、映画パンフレット】ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 通常版
★★★☆☆
青黄緑赤と怪獣毎にカラーリングされた神秘的なポスターや荘厳なBGMが流れる予告編から、何やら今回はスケールのデカい怪獣映画が見れそうだゾと期待をしていたのですが。実際、山頂に陣取った怪獣が咆哮し、迸る稲妻が空を染めるといった一枚絵としては大変カッコイイ場面が多々あるものの、終始平熱のままで鑑賞してしまいました。

好みの話に過ぎないし(まーいつだって好みの話だよ)、大日本プロレスの興行に来て「MMAを見せろ!」と言うている無体な客みたいなものかもしれませんが(でも言う)、自分が一番見たいのって、現実の空間に異物である怪獣が登場し、それにどう対応するのかというシミュレーション路線なんだよなーと改めて感じた次第。強いて今回の映画で言えば、一般人が酷い目にあう場面が相応に用意されたメキシコでのラドン登場の下りでしょうか。でも思い出してしまうのは『シン・ゴジラ』のタバ作戦、あの戦闘ヘリの斜め後ろからの映像。機関砲から発射された弾丸がわずかに放物線を描いてゴジラの頭部に吸い込まれていく。「これ、こういうのを見たかったんだよ!」と叫びそうになった瞬間。ああいうエクスタシー体験はこの『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』には終ぞ訪れなんだです。

以下、ネタバレ。
あとやっぱりモヤモヤしたのは芹沢博士の下り。米軍が発射したオキシジェン・デストロイヤーでゴジラは停止。それを復活させるのが核爆弾で、よりによってトリガーを引くのが芹沢博士という。劇場で見た時はこれ、初代ゴジラへのオマージュと言うには倒錯が過ぎやしないかと戸惑うたのですが。後日、ドハティ監督のインタビュー読むと、意図的な展開であるのは無論のこと、「54年版の映画で神であるゴジラを殺してしまったのは間違いで、その謝罪を描こうとした」という趣旨のこと述べているんですよ。※1

ちょっとポカーンとなる発言で、往年のアントンばりに正直ついてゆけぬ人だ……と思うてしまったのですが。敢えて慮ると、ドハティ監督は「怪獣が好き!もー大好き!」という熱情の徒で、ゴジラに政治、思想的な意味を過剰に込めることなく、虚構のスタアとして愛しているということなのでしょう。たぶん。しかし普段は「一番凄えのはフィクションなんだよ」なんて嘯いているわたくしも、核エネルギーで駆動するゴジラをそう無邪気に「怪獣の王!」と崇めるにはさすがに抵抗あり……。

またエンドロールで「怪獣復活のおかげで地球環境が改善しました」みたいな文言が流れるのですが、自然を快復させる神みたいな位置付けと、放射線を撒き散らし汚染する存在って食い合わせ悪くないか、とも思いました。こう考えると、ややこしくなりそうな設定を全て回避し、主役をドン・フライに寄せた『ゴジラ FINAL WARS』って相当クレバーな作品だったのはないか、とも思いました。

※1 以下、引用。
https://theriver.jp/godzilla2-interview-spoiler/

「本作の、新たな芹沢博士は、かつての芹沢の失敗を正すために行動しているのだと考えたかった。今回の芹沢博士も、オリジナルの芹沢博士と同じような道のりを歩んでいます。しかし1954年版の芹沢はゴジラを殺した。我々自身の神を殺したわけです。本作の芹沢は前回とは違って、自分の神を救おうとしています。ですから今回は、芹沢という人物を、初めてゴジラの身体に触れる人間として描きました。これは大きな意味のあることで、芹沢は愛情をもってゴジラに触れることになる。ゴジラにほとんど謝罪をするような行為でもあるわけです」