GQuuuuuuX、勝手な期待からの失望、赤木博士の太鼓ドンドコタイム~あーもうどうなってもいいや

以下、最終回含めてネタバレあり。

機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)

ジークアクスについて。振り返って思えば最初に大きなかけ違いがありました。自分はIF世界線の架空戦史とか赤いガンダムとか、おっさんオタへの目眩しで、本筋はマチュとニャーンという若い世代の物語で、姉妹的連帯が描かれるのではないか、そんな予感を持っていました。つまりハードストーリーに見せかけたソフトストーリーではないか、という推測と願望です。

ユニコーンや水星の魔女がある部分では試みて取りこぼしてしまったもの、それをこのスタジオカラー、鶴巻x榎戸という座組であれば見事に乗りこなしてみせるのでは、という(勝手な)期待もありました。それは「戦闘機の型番違いを事細かに記述して、エースパイロットが無双する戦記ものではイカンのです」という富野御大の根幹にある思想と信条を踏まえての作風とも思っていました。

ところが蓋を開けてみると、別進化したゲルググとか、黒い三連星やらバスク・オムなんて過去作キャラのチラ見せ無駄絡みに時間を使って、肝心のメインキャラの心情は大して描かれもしない。せいぜいシュウちゃんとかいうフワフワした妖精みたいな男性へ惚れた腫れたしているだけ。このシュウちゃんとやらは後半に至って、本当に幻影で内実がないことが判明し、更なる脱力を誘います。

そんな状態で終盤、二人は恣意的な殺し合いにまで突入するのですが、別に思想的な対立があるわけでもなく、脚本の都合で争っているだけなので、なんの感興も湧きやしません。デビューしたてのヤングライオン、あるいは前座の女子レスラー同士がアングルもなく「死ねー」「お前が死ねー」とドロップキック合戦してるだけみたいな試合。猪木だったら「お前たちはキャンバスに絵を描いたことがない」と説教しているところです。

いや、おそらくこれでも作り手は姉妹的連帯を描いているつもりなのでしょう。マチュによる「なろう、明日なろう、踏まれて強くなる麦になれ!」「明日のわたしはもっと可愛い」「女子三日あわざれば刮目して大局を見よ」みたいな直截的な台詞もあります。あるいはリコリコ、ベイビーわるきゅーれよろしく女子二人だけで(幻影のシュウちゃんやシャアを伴わず)約束の海に辿り着きます。ただ悪い大人に誘導されたとは言え、大量殺人の罪も不問のまま、こんな弛緩した呑気な顛末で良かったねーとは到底思えず、カミーユばりに「お前ら待てよ、人が死んだんだぞ……いっぱい人が死んだんだぞ!」と言いたくもなります。

まーそんなお話を差し置いてもこのアニメ、終盤になればなるほど演出が機能せず、なんでもかんでも台詞で説明するようになっていきます。ホワイトベースもどきのクルーはロンドベルみたいな自由度ある本来なら面白そうな設定なのですが、特に何をするわけでもなく、試合実況と解説に終始します。「シンクロ率400%です!」「このままでは搭乗員がヒトでなくなってしまう!」とか、雰囲気だけで中身のないやつ。あれです、端的に言うと赤木博士が太鼓をドンドコ叩くやつです。

(赤木博士が太鼓をドンドコとは、劇場版のエバー破にて、赤木博士がなんや大事っぽい、しかし内容のない説明台詞を延々言う場面のおかしみを表現したミームのこと、以下を参照)

buzzap.jp

あとキラキラ空間で時が止まりキャラクター同士が話し合う、ここ一番の大技を乱発するので、アクションが連続せず停滞していく羽目に陥ります。繰り返しますけどカラー、鶴巻x榎戸という現代最高峰とも言える陣営で、なんでこんなヘッタクソなことになっているのか……。今回最大の謎ではあります。いや全ては1クール故の時間的制約があり、致し方ないことなのかもしれない……プラモも売らないといけないし。なんて思う必要はねえんですよ、何故なら大人の事情なんて知ったことじゃねえから。

敢えて良かったところをあげると、何はともあれデザインでしょうか。竹さんの丸っこくて可愛い、およそ宇宙世紀にこれまで登場しえなかったキャラクター。そして山下いくとさんによるマッシブで可動範囲の広いメカ。この視覚的快楽あればこそ毎週見ることが出来た、という気持ちがあります。

薄っぺらい世相語りすると、現代SNSってエモ、共感こそが大切で、あんまりブツクサ言うと冷や水かけんなよと嫌われる可能性あり。まー楽しかったからいーじゃない、Funあってこそよ、みたいなユルフワ思想があると思っていて、自分も正直この数年そんなモードでやってきたところあります。でもねえ、今回よい勉強になった気持ちあり、やはりダメなものはダメ、うまいもんはうまいと言っておきたいです。単純に自分の精神衛生上よくない。怨念に取り憑かれて作品ディスばかりに夢中になるのも、それはそれで不健全と思いますけどね。現場からは以上です、編集長。

以下は劇場公開~放映中のまとまりのない呟き。最初はマジメに書いていたのに、だんだんテンションが下がって雑になっていくのが分かりますねhahaha。

  • 鶴巻x榎戸作品の特徴と自分が勝手に思うのは、現実のメカニズムよりキャラクターの心情、思春期の性欲、エゴ、葛藤が優先され、世界やオブジェクトが変容するところ。例えば『トップをねらえ2』においては宇宙怪獣よりアガリ問題の方が重要で若き頃の全能感はやがて費える、その時にどう生きるか、というテーマが据えられている。ジークエクスもそういう文脈に沿う作品じゃーないかなー。まだこの3話?ぐらいまで見ただけで判断するのは性急に過ぎるのかもしれんけど。
    • ぼかーヤーボなので、あのガンダムは5年ぐらい、整備や補給もなしに動いてるの?とか思ってしまうのだけど、あれはMSと言うよりトップ2のバスターマシンみたいな、思春期少年少女の拡張した身体表現で、そういう疑念は無意味なのでしょう、たぶん。
    • なんかこう、サービスや釣り的に用意された(ように見える)冒頭に必要以上に反応するのも本意ではない、前述した整備してるの?とか言いだすガノタこそ同族嫌悪があるのだけれど、自分はオールドタイプなので、どうしてもそっちに引きずられてしまう……。
  • 森川ジョージ先生が現代と変わらぬスマホや改札あるのに違和感、という旨を書いていたけれど、先生の感覚はおかしくない、なにも怯む必要はないですよ!しかし一方で、『はじめの一歩』が固定化された時空のまま巻を重ね、ガラケー使っていたのがいつの間にかスマホになっている問題は、先生の中でどう整理されているんですか……。
    • 戻ってジークアクス、劇中の落としただけで割れるスマホUSBメモリ、HDDの・ようなもの、Wikipediaが登場する度に自分の中のテンションは少しづつ下がっていく感あり。あーいや、分かってますよ僕だって馬鹿じゃない、つもり。賢い作り手が集まってこのようなことを敢えてしているのだ。「これは現代に生きるきみたちと変わらぬ彼、彼女たちの物語なのですよ」というシグナルなのでしょう、たぶん。でも本音言えば、そんなメタ的メッセージよりも舞台をきちんと作り込んで欲しいと思うのです。
    • あのー『マクロスF』でランカちゃんが落としても平気なブヨブヨした携帯ガジェット使ってて、ああいうのを真面目に考える方が創作態度として立派だと思うンだよ……。
    • 富野御大はどうなのかと言うと、やれオーラ力だなんだとオカルト多々あるけれど、スペースコロニーやMSは存在しない、って態度を取ったことはないと思うんですよ。『Gレコ』のキャピタルタワーとか、含意の前にあの世界にはある、信じろと言っているわけで。
    • これが下衆な突っ込みで、『トップをねらえ2』みたいにあのデザインには意味があった、と引っ繰り返る仕掛けがあったらそれはもうひれ伏すしかない。そうなったら良いなとも思う、ちょっと覚悟はしておけ。
  • 劇場で見た時にブツクサ書いたものの、TV放映後は毎週見ておきながらネガティブな感情を垂れ流すのもあれかと思い、特に触れてこなかったけれど最近のジークアクスさん酷過ぎませんか……。
    • なんやワカランでかい装置でてきて、全く仕組も不明なのに、これを止めるとか止めないとかが焦点となり、世界を革命する力を!みたいなこと言い合っててボカーン。ついてゆけぬ人だ……。知ってる、これエバー劇場版でもやってたやつ。やり抜くとか抜かないとか、ヤリヤリクリクリとか初めに言い出したのは誰なのかしら、かしらかしらご存じかしら。
    • 自分の感覚からすると、これモックやないかと。綺麗なインタフェースだけ用意してお客さんにプレゼンして、中身は実装されてないやんけと。虚しい……。
    • あのー、色々思うところあったけれど、ユニコーンも水星の魔女も真面目にやってましたよ。ガンダムに限らず、MyGoだってぼっちだってマジメにやってるよ。それはスコープは小さいかもしれないけれど、十分立派だよ、みんな歴史の教科書に載るぐらい立派だよ。
      • 水星の魔女は少なくとも旧シリーズにない新規の話をしよう、という意思はあったと思う。それが面白かったかは別としても。
    • あのーアオイホノオ史観と言うか、庵野秀明を常識のレールから逸脱した天才として受容する向きあるでしょう。チーム全員が悩んでいる問題を、たった一人の天才プログラマが数行のコードで解決してみせる、みたいなやつ。あーいや、わたくしもそういう天才ヒロイズムへの憧れがゼロではない、今でもある。でもなんか、凡人のオッサンとして年重ねてくると、華麗さはないけれど、左ジャブとボディブローで判定試合を拾うよな、地味な選手も立派だと思うんだよ。マジメにやるのは何も悪いことじゃないよ。
    • この現代になって、シャアさんの解像度が悲劇を背負ったヒーローってのもなんなの……。不思議パワーで赤いあのひとのルックに変身とか……。いや聡明な作り手が揃ってやるのだからと期待もしていただけに……。最終回まで見たら評価変わる、ってことはもうないと思う。
    • しかしよく分からない……。あの時代に逆シャア同人作るぐらいには批評精神あった作り手たちが、現代になって今更カッコ良さげな王子様風のシャア出してくるのとかどういうギャグなんですか……。
  • ララァの刻が見える間際の夢なのでは、という説を読み、ハーなるほど、だからSFガジェットがいい加減なのも、Zや逆シャアのだらしなさとは無縁の王子様なのも得心がいきますね、これは見事!ララァさんの中ではカッコいいシャアのままなんですね、うーん切なさ炸裂……ってなるかあ?
    • そんなドンデン、書き手の都合やないか。いや勿論あらゆるフィクションは作り手の恣意なのだけれども。ここまで積み上げられた話に意味、面白さがあればこそ果しなき流れの果にという感興が湧くのであって。現状からそんな展開されたらますます虚しくないすか……。
    • 仮定を重ねて突っ込むのは不毛なのは承知だけれども、であれば更にマチュとニャーンの衝突とか苦しみとか(現状それもビリーバリティ皆無だけど)もうどうでもいいやになってきません?これでグレートリセットが起きて大量殺人もなかったことにして、仲良く部屋でまったりマラカス振って良かったヨカッタめでたしとは思えんやろ……。
    • あのーウテナの劇場版のツイストあったじゃないですか、冬芽が実は……ってやつ。あれは見事だったと思うんですよ。他にもTV版の幹と梢の錯誤、ピアノの連弾のことを互いに間違えて記憶しているとか。ああいうのは良い詐術だと思っているんですよ。今回はそんなレベルのものじゃねえですよ……。
  • 思えば『フリクリ』とか当時は新しいアニメで、SFガジェットは飾りで郊外男子の思春期性欲モヤモヤを描くお話だった。しかし現代は『スキップとローファー』とか普通にアフタヌーンで連載されてる時代だから。今期で言えば『前橋ウィッチーズ』とかあるから……。普通に乗り越えられたということでは。
  • あのー『ガンダムSEED』って最初の方は割とマジメにキラxアスで友だち同士が殺し合うなんて!って劇をやっていたでしょう。あんなに一緒だったのに、夕暮れはもう違う色という。今回のマチュvsニャーンよりは余程ちゃんとやっている。
    • いや勿論改めて言うまでもなく、ザレムの鉄クズ町でブツクサ言うてる自分たちと比したら鶴巻先生も榎戸先生も天上界のスーパーエリート。そんなクレバーで最新MMAを習得した、選ばれし男の中の男たちが集って、SEEDの後塵を拝すことになるのだから、創作って面白いとも言えますね。
  • 職場で自分より遥かに年上のおっさん二人がジークアクスの話をしていてビビってたじろぎました。「ガンダム出てきたよ!」とか嬉しそうに語っていて。そんな風に、おっさんから若年層までIPとしての初代ガンダムを再度注目させたのだから庵野先生、スタジオカラー凄い、さすがですおにいさま、みたいな意見も読んで。それは確かにその通りなのかもしれませんが、知るかよ!俺と作品の関係以外どうでもええわ!とも思いました。
  • 最終回、予想が当たっていた箇所も外れていた箇所もあり。だからどうしたという気分ですが……。
    • リセットはなく、モブはいっぱい死んだけど、マチュとニャーンが仲直りしたから良かったねーって、そうはならんやろう……。
    • Zのカミーユはよくキレるエキセントリック少年に見えるんだけど、終盤でこう言っています。「生命は力なんだ。生命は、この宇宙を支えているものなんだ!それを、それを……こうも簡単に失っていくのは、それは、それは、酷いことなんだよ!」
    • めちゃくちゃマトモじゃありません?プラモデルを売るために次々にモビルスーツが投入され、毎回のように人が死ぬロボットアニメの中で、だからこそ「命は重いんだよ!」って抵抗、当たり前のことをシャウトできるカミーユこそ本来の意味でニュータイプだと思うの(そういう感受性あるから、最後にぶっ壊れてしまうのですが)
    • 前半でシュウちゃんがゲルググ人妻をあっさり殺すでしょう。それ見たマチュが目をキラッキランラン(byプリキュア)させて「シュウちゃんは凄い!これぐらい何もかも捨てて打ち込まないとUFCのリングにはあがれないんだ!」とか憧れるの。
    • これは当然、意図的に「間違えている」描写であって、明らかに幼い誤認なのだけれど、あくまで溜めで、成長変化してゆくのだと、そんな風に思っていた時がわたしにもありました……。しかし実際には特に言及ないまま、マチュは最後までシュウちゃんシュウちゃん言うて好き!キス!とかしてんの。
    • いや、教条的な成長譚ではないことに榎戸節があるんですよ、と言うなら、代わりに何が描かれたのかと。SFガジェットが見た目だけで中身がないのはこの際良いとして(本当は良くない)ソフトストーリーとしても失敗している。
    • そんなマチュを「立ち止まらない、無数の選択肢の中から可能性をつかむ新時代に相応しい主人公!」とか誉めそやしている言説読んでポカーン。いやそんな決断主義持ち上げるのおかしいだろ、むしろ逆で立ち止まってよく考えるべきなんちゃいますの……。
    • 何度も言うけど人死んでるねんで。いや自分だって劇中でバンバン人殺すキャラクター、例えばヤザンさんは最高だなーとか言いますよ。ただそれは「ヤザンさん」として受容しているわけであって……。
    • マチュの言う「よくわかんないけど、なんか分かった!」ってあれですよ、ポプテピピックの「完全に理解した」と変わらないから。
    • dic.pixiv.net

うーん無限に言えるぜジークアクスの悪口(やめましょう)

甘えとその不成立による衝突、Zガンダムは面白いよという話

ジークアクスが放送中で、その流れでZガンダムが話題になり、「いやーZは面白くないから別に見なくても……」みたいに言われていて、そんなことないって!面白いって!確かに初代ガンダムのようには面白くはないけれど(ないんかい)また違う味わいがありますよ……と思い、自分の過去数年前の感想を引っ張り出してまとめておきます。

機動戦士Ζガンダム

偶には新しいフィクションを摂取した方が良い、ということで最近はZガンダムを見返していました。初見時は付いていけず序盤で脱落し、高校生ぐらいの時に再放送で見たものの、なんかもーやたらと人間関係がギスギスしていて、すぐに暴力がふるわれる陰惨なお話という印象のままでした。あとは百式とかキュベレイとか、モビルスーツのデザインはカッコイイなーぐらいのぼんやりとした解像度。

今回見返して、こんな話やったんか……と思わされることが多々あり。やたらとギスギスしているのはまーその通りなのですけれど、衝突の原因となるのはほとんど「甘え」の不成立によるものなのです。はなから喧嘩がしたいわけではなく、信頼関係がないのに甘えようとするから問題が巻き起きる。

カミーユは甘えたい、ファは甘えたい、レコアも甘えたい。びびってたじろぐことにシャアさんも本当は甘えたい。という甘えの矢印が一方通行で互いを受け止めることがない。しょっぱい話で恐縮ですが、これ身につまされるものがありました。自分の人間関係のトラブルだって、こういう甘えの不成立に起因すること間々あったよな……という。まさかZ見てこんな感情を抱くことになるとは思わなんだです。

あとカミーユの印象もだいぶ変わりました。とにかくキレる若者、エキセントリック少年と思っていて、いや実際に序盤はキレキレなのですけれど、紆余曲折あって彼なりに成長していく。また甘えたい君であるのも、両親が彼を顧みず、おまけに途中で酷い退場をするのだから、これ無理はないとも思わされます。ただZが凄いのは、この甘えがぼんやりとした性欲でもある、と描いていることです。

顕著なのが第6話『地球圏へ』です。この回にて、カミーユはエマやレコアをフラフラと追いかけ甘えようとして拒絶され、何も言えなくなって女体をただぼんやりと眺める、といった行動に出ます(誇張ではなく本当にそういうシーンがあるのです)。

作り手は斯様な描写を通して、甘えこそ性欲の起点である、と喝破しているのです。確かに、性欲ってこういう側面もある……。〇〇さんが好き!〇〇さんとエロいことしたい!とか具体性なくただなんとなく甘えたい、相手は誰でも良い、みたいな漠然とした衝動のこともある……。うーん、この思想は凄い、凄いけどSFロボットアニメという体裁でなんの話をしてはるんですか……とも思います。

(6話は他にもジェリドがライラに暴力で寄りかかろうとして逆襲され、ドロップキックを食らって轟沈、弟子入りを決意する等の面白展開が満載。甘えと衝突が描かれるZガンダム屈指の傑作回と思います)

カミーユのこうした若さ故の明日なき暴走は、フォウやロザミアとの関わりの中で変化、軟化していくのですが、代わってトップ選手に躍り出るのがカツです。カツは終始ぼんやりとした性欲に突き動かされて勝手な出撃と失敗を繰り返します。初代で「はい、そこでまっすぐー」と高らかに歌い、未来を祝福されたスターリングチャイルドが、こんなクソガキとなって視聴者を殺しにくるのです。しんど過ぎるって……。

対照的にこの甘え問題を完全に制御しているのがシロッコです。男にも女にも心にもないことを言って操ろうとする、鈴木Pみたいな人物。ハマーンでさえ本当は(シャアさんへ)甘えたい側であることを思うと、甘えをコントロール出来るシロッコこそ最強であり、また一番に邪悪なキャラクターで、ジャミトフやバスクでもなく彼こそが最終的に倒されるべき敵と設定されているのも分かります。

そしてやっぱりZで一番面白いのはシャアさんです。当たり前ですが、アニメって人工的な産物なので、ルックがかっこいいキャラクターには相応しい内実が伴っている(と造形される)のが大半だと思うのです。ところがシャアさんは見た目は秀麗で、戦闘となるとイキイキとするのに、とにかく責任ある立場に登板したくない。上流の調整作業とか遣りたくない、現場の最前線で好きなコードだけ書いていたい、みたいなノラリクラリ君として設定されているのです。

だから初めて頭領として立ったかに見えたダカールの演説の後でも、「これで私は自由を失った」とか嘆じたりする。しかもそのことを年少のカミーユに見抜かれ「戦闘をしたいだけの人じゃないのか!」とか糾弾されたりする。

あとシャアさん面倒見が悪い。後輩指導とかやらない。前述のカツとかシンタ、クムも自分が連れてきておきながら全然構ってあげない。感じの悪いTVアニメスポンサーのウォンだって子供を前にするとジュース奢ったり大人ムーブするのに、シャアさんはそういうことしない。ウォンが遅刻するカミーユをしばき倒す場面でも、任せようとか言って自分の手は汚さない。「あんたちょっとセコいよ」とは後にクェスからアムロへ投げかけられた台詞ですが、本当にセコいのはシャアさんだって……。

やりたくないことから逃げたい、でもやらざるをえないかつての英雄というのは、ガンダムの続編なんて作りたくないものを作らざるをえなかった描き手の屈折が投影されているのだろう、と今になれば思い至ります。しかし前作の主人公のライバルにして、今回は若き少年を導くメンターでもある二枚目キャラクター、その内実をこんな風に提供してくるのは本当に凄い、凄いけどどうかしている……。

最初に書いた通り、じゃあZガンダムが初代と同じように面白いかと問われたら、正直心許ない。ヒロイックな展開とか、それによるカタルシスとか全くないですし。でも稀有な人物造形と一筋縄ではいかない人間ドラマとしては相当に面白いと思います。これ本当に。

そんなわけで、実は面白いZガンダム、未見の方は是非見て頂きたいです。新訳と謳われる劇場版はこういった要素をノイズになると判断したのか削ってしまい、旨味が落ちているので、最初に見るなら是非TVシリーズでお願いします。全50話、バァーって見られるから……。

以下、他シリーズを含めたまとまりのない余談。

  • バスクはへり下ってみせるシロッコのことを「貴公の許せんところは自分以上に能力の高い人間はいないと思っているところだ」と言っていて、ちゃんと相手の内面を把握しているンですよね。悪役で暴力三昧だけど決して愚鈍ではない。
  • シャアさんより、地味に自分の仕事をやり通しているハヤトやカイの方が今となると立派な大人に見えます。でもシャアさん外見はスマートだから……百式もゴールドでピカピカしてるから……子供の自分が幻惑されたのは仕方ないんじゃよ……。
  • 基本的にええかっこしいのシャアさんが本気になって怒るのがミネバに面会した時で、珍しく真っ当な振る舞いとも言えるのだけれど、そのせいで会談がおじゃんになり、仲間の皆からは不興を買うという展開も面白すごいです。
  • 逆シャアでのシャアさんは代表に祭り上げられ、部下や愛人を掌握しようと策を弄して、成功せず反発される。失敗したシロッコみたいとも言えます。なにしろやりたくもないリーダ仕草をしないといけないので、「私はお前と違ってコードだけを書いているわけにはいかん」とかアムロに愚痴る。可愛いね(スパナを投げる)
  • ハサウェイはぼんやり性欲で勝手に出撃した上に、取り返しのつかないことをやらかすという意味で正当的なカツの後継者と言えましょう。
  • ガンダムUCやNTはヒロイズムの物語なので、Zや逆シャアと違い、見た目カッコいいやつは内実も立派に設定されています。フルフロンタルはシャアさんのだらしなさを滅却した綺麗な器として規定されている。

天気の子

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★★★★☆

パックランドでつかまえて。新海先生の強みと弱みがこれまで以上に出てている作品と思いました。

前作『君の名は。』への批判で一番ビックリしたのは「胸を揉むシーンがある!気持ち悪い!」という感想でした。新海先生が気持ち悪いのは間違いないのですが、先生の気持ち悪さってそんな表面的なとこじゃーないと思うのです。「栃木って行ったことあるか?」とか「お願いだから優しくしないで……」とか、ダイアローグに見えてその実モノローグ、他人と会話する気がない、どこまで行っても自分の話という観念肥大こそが気持ち悪く、また最高なのであって。そんな新海映画にすっかり飼いならされた人間からすると、『君の名は。』は自己愛モンスターぶりも控えめになり、ボーイミーツガールで世界を救うなんて話をド真ん中で描くようになりはって……と驚き感激したものです。

こうした変化は『言の葉の庭』辺りから始まり、かつてはKOKOUを気取り、触るもの皆傷つけた新海先生も、次第に調和的な作風に変じていったと捉えておりました。Z会のCMでもバイト仲間が受験生君を心配する描写があったりして、「あー新海先生も社会や他人をさらりと描くようになったんやなー」と感心した記憶があります。今作『天気の子』もおそらくその延長線上にあるエンタメプロレスで、最後は「愛してまーす」と唱和してメデタシめでたしのお話なのだろうなーと。恐ろしく呑気にも、そんなふうに考えていた時期が私にもありました。

以下ネタバレ。

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『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』

【チラシ付き、映画パンフレット】ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 通常版
★★★☆☆
青黄緑赤と怪獣毎にカラーリングされた神秘的なポスターや荘厳なBGMが流れる予告編から、何やら今回はスケールのデカい怪獣映画が見れそうだゾと期待をしていたのですが。実際、山頂に陣取った怪獣が咆哮し、迸る稲妻が空を染めるといった一枚絵としては大変カッコイイ場面が多々あるものの、終始平熱のままで鑑賞してしまいました。

好みの話に過ぎないし(まーいつだって好みの話だよ)、大日本プロレスの興行に来て「MMAを見せろ!」と言うている無体な客みたいなものかもしれませんが(でも言う)、自分が一番見たいのって、現実の空間に異物である怪獣が登場し、それにどう対応するのかというシミュレーション路線なんだよなーと改めて感じた次第。強いて今回の映画で言えば、一般人が酷い目にあう場面が相応に用意されたメキシコでのラドン登場の下りでしょうか。でも思い出してしまうのは『シン・ゴジラ』のタバ作戦、あの戦闘ヘリの斜め後ろからの映像。機関砲から発射された弾丸がわずかに放物線を描いてゴジラの頭部に吸い込まれていく。「これ、こういうのを見たかったんだよ!」と叫びそうになった瞬間。ああいうエクスタシー体験はこの『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』には終ぞ訪れなんだです。

以下、ネタバレ。

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『君の名は。』

君の名は。(通常盤)
★★★★☆
初日に見たのですが、劇場は高校生ぐらいと思しき若い子でいっぱい。コミカルなシーンではクスクスと笑い声、佳境に入ってからのシリアス展開ではスンスンと泣き声も聞こえてきて。映画が終わった時、横にいた二人組など興奮した面持ちで「ヤバいぐらい号泣したな(大意)」と口にしておりました。

まさか新海先生の映画が、このような大々的な没入エモ体験を巻き起こす日が来るとは……。思い出すのは前々作『星を追う子ども』のことで、あの時は劇場がどっちらけた空気に包まれる中、カップルの男性が「いや前作は良かったんだよ、本当だって!」と女性を必死になだめておりました。あのカップルは元気にしているでしょうか。麦わら帽子はどこにいったのでしょうか。余計な御世話ですね、はい。

その『星を追う子ども』の時点で(出来はともかくとして)ポエムからストーリー主導の劇映画路線に舵を切り、続く『言の葉の庭』という佳品をものにしていたとは言え、今回の『君の名は。』がここまで出来るようになっているとは思わず、嬉しい驚きでした。
以下、ネタバレ。

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『シン・ゴジラ』

シン・ゴジラ音楽集
★★★★☆
わたくし、庵野先生がゴジラ映画を手掛けると聞き、これは事故物件確定ですぜフヒヒとほくそ笑んでおりました。きっとあれでっせ、構図とエフェクト描写だけキメキメでお話はおざなり。まーそれならそれで一向にかまわんウヒヒなどと思っておりました。

何故なら庵野先生って爆発描けば世界一の天才アニメーターだけれど、物語作家としては全く信頼が置けないと思っていたからです。それは予告編が公開され、どうやら今回のゴジラは震災をモチーフに、リアル志向のドラマをやろうとしていると推測される段階になっても変わらず。むしろ庵野先生、荷が重いんちゃいますの、そんなんこなせる能力ありますのと完全にナーメーテーター、侮っておりました。
以下、ネタバレ。

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