『ロッキー・ザ・ファイナル』

ロッキー・ザ・ファイナル (特別編/勝負ガウン付BOX) [DVD]
★★★★☆
学校ないし家庭もないし、いい年こいて未だにフニャモラーと生きている僕様ちゃんですが、ロッキーを見ると「アレよね、もうちょっとマジメに生きるべきよね」と柄にもなく殊勝な考えに囚われます。この感覚は小橋さんの試合を観戦した時に近いものがあります(知らない人のために説明しておくと、小橋さんはプロレスラー。すごく強い)。愚直、あるいはひたむき。普段そういった「熱さ」を忌避し、ウヒヒとして生きている僕チャンチンも、ロッキーや小橋さん程の純度と質量を前にすると参ってしまうのです。
例えばロッキーに息子が反抗する場面。偉大なとーちゃんの影から脱却できない息子は、再びリングに立とうとするロッキーに屈折した批判を投げかけます。いい年こいてハッスルするなんてみっともない。ゴーフォーブロックとは言うけれど、当たって砕けちまったらどうするんだい。ヤメときなよと。対してロッキーは答えます。
「息子よ。人は歩みを止めた時に、そして挑戦を諦めた時に年老いていくのだ。飛べない豚であることを他人の所為にして生きるな。自分の人生を持て」
もうねえ、思い当たる節が多すぎてねえ、映画館で俯いてしまいましたよ。スタローンに土下座ですよ。もっとも、骨の髄までウヒヒなわたくしのこと、こうした純な気持ちも物語が終わり二時間もすると霧散霧消し、以前の頑張らないこと山の如し人間に戻ってしまいます。しかしそもそも、自分にとって多くの映画は何の揺らぎをもたらすことない快楽供給装置に過ぎません。例えば『ミリオンダラー・ベイビー』なんぞ閉幕の二分後には「吉野家でも食って帰るか。ういーしっ!」と日常に埋没してしまいました。それを考えると、短い時間とは言え自省を促された『ロッキー・ザ・ファイナル』は本当に力を持った映画なのだと思います。