『害虫』
★★★☆☆
先日、宮崎あおいタン原理主義者の友人に「あなた劣情キラリ☆とか言うてますが、未だに『害虫』も見たことないんですか!あの作品も見ずにあおいタンを語るなんてポーザーもいいとこですよおおお!」と激しく詰め寄られてしまいました。そこまで言われたならば見ないわけにはいきません。よし、やろう。ヤル!というわけでビデオ借りてきました。見ました。
この映画であおいタンが演じるのは48ある萌え属性の一つ、「不機嫌美少女」と呼ばれるものです。凡庸な世間を軽蔑し、かと言って「オレの歌を聴け!」とシャウトする熱気バサラは持ち合わせていない。ただ周囲と距離を置き、冷たく見つめる少女。彼女が心を許すのは文通を続ける小学校時代の教師(田辺誠一)と街で出会ったプーの青年(沢木哲)、あとオマケで白痴のオッサン(石川浩司)のみです。彼ら以外の人間はことごとく俗で卑しく、特に男性は一方通行の欲望をぶつけてくるダニ野郎として描かれます。あおいタンを理解した上でその幼さ、危うさを指摘してやる大人は誰一人として登場しません。「お前のセカイではお前だけが哀しくて、お前だけが被害者なんだな」と言ってのける路上のカリスマ的人物は望むべくもありません。
改めて言うまでもなく、この映画はあおいタンを救う気など更々ない、むしろ彼女を追い詰め谷底に突き落とすことに最終的な目標が置かれています。それなのに田辺誠一や沢木哲のようなキャラクターを配置することで、あおいタンに寄り添う「素振り」をしているのです。ここら辺がつくづくヤラシイなーと思うのです。塩田はん、あなた「大人は判ってくれない」とか「パックランドで捕まえて」とか言うてますけど、それは対外的なポーズで、本当は落ちていくあおいタンを「もう少し見ていたかったのかもしれん」ってことでっしゃろと、突っ込みたくなるのです。
こういう映画はねえ、いくない!まったくロクなもんじゃないと思うんですよ。でも救い難いことに、悦びを見出してしまう自分がいるのも事実なのです。たとえば火炎瓶を嬉々として製造するあおいタンとか、ビジュアルだけでもワクテカしちゃうんですよ。もう理屈じゃないんですよ。身体が勝手に反応しちまうんですよ。分かります…?興奮してるんですよ…!興奮してんの…!もっと直角になりたい…!