『マイマイ新子と千年の魔法』

マイマイ新子と千年の魔法  オリジナル・サウンドトラック
★★★★☆
50万周期の時を超え、カールチューンが呼び覚まされる…わけではない。失われたのではなく、初めから存在しない物語。
以下、ネタバレ。
終盤、横の席のオッサンがスンスンと泣いており、気持ち悪いなーと思っていたのですが、気付けばオイラもメソメソと落涙。まー気持ち悪い。

フィクションをノスタルジーとして消費するのは、あまり宜しくないことだと思うのですが、この映画に郷愁を感じないと言ったら嘘になります。もちろん自分が生まれ育った年代や土地柄は、劇中の人物たちと程遠いのですけれども、あのような時間はかつてわたくしにも確かにあったと思うのです。

新子や貴伊子は些細なことに夢中になって喜び、あるいは心を痛め、必死になって走り回ります。それは時に筋の通っていない、無茶な行動に見えるのですが、彼女たちにとっては極めて切実なことに感じられます。薄汚れたオッサンとなったわたくしにも、子供の時分にはあのようなひたむきさ、誰かのために全力で行動する瞬間がありました。それが今ではジャガリコを貪りながら『けいおん!』を見てヤニ下がり、『ゆびさきミルクティー』に爆笑する毎日。美しさの欠片もない…!もう戻れない、もう帰れない日々。失われて久しい物語。そのことを思ってハラハラと涙に暮れるのです。

と言うのは嘘です。まやかしです。何故ならば、僕様ちゃんは既に子供の頃からして極めて怠惰な人間だったからです。新子や貴伊子のように健やかでも美しくもなく、狡っ辛いガキンチョでした。子供時代と現在のわたくしは途切れることなく繋がっていて、昔も今もセコく「ズルして頂き!」を信条に生きています。そんな人間からすると、『マイマイ新子』はあまりに眩しく、貴い物語に思えるのです。

念のために断っておくと、この映画は無邪気な子供を無条件に肯定し、あの頃は良かったなーと感傷に浸るお話ではありません。むしろ世界には子供が知覚することの出来ないアレやコレやがあって、それは黒でも白でもなく、ひとりの人間や社会の中に同居しているんだぜ、という風に語られます。例えばタツヨシのおとん。あるいは保険医のひづる先生。話が進むにつれ、全き大人に見えた彼、彼女も完全無欠ではないことが明らかになります。しかしだからと言って腐ってやがる、薙ぎ払え!と否定されるわけではない。ひづる先生はキチンと祝福されて旅立ってゆくし、タツヨシはおとんを嫌いになったりはしない。

そのような複層的な世界の上で、新子や貴伊子の見せる勇気や情熱は尚のこと美しいものに思われます。だからこそわたくしはエグエグと嗚咽するのです。うーん、どっちにしろ気持ち悪い。